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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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車を手放して早3年か4年。
 そろそろ軽自動車でも買おうかな、というと気に身内の不幸だったり大病だったりがどかどかと来て、トランスポーターの確保どころじゃない日々を送っておりました。
 なので、このブログも
 「ロケハンに行くどころじゃない」
 という事態が生じておりましたわけでございますが、世の中色々進歩するものです。

1.「グーグルストリートビュー」が充実した
 これ、すごいです!
 今までさんざ頭を悩ませられていた「事前ロケハン」が出来る上に、存在の確保すら出来てしまいます!

 これは廃止になってしまった「南田原」、かの有名な「ととろ」の隣のバス停です。こんなのもストリートビューで見られてしまいます。

2.うちの近所に壁バス停が出来た
 そうなんです!
 コミュニティバスが増えてから、バス停も形にとらわれないものが出だしました。
 そんなわが街にも「マミーズまほろば号」という太宰府タクシー社が運行するコミュバスが登場したのですが、これがほとんど壁バス停。

3.近所に「入美」バス停ゆかりの方がいることが判明
 こちらは偶然の縁です。
 日田バスの女王として桜の季節楽しませていただいているあのバス停の辺りの方が近所でお店をやってることが判明したんです。一週間の半分はあちらのほうで農作業、半分はこちらで店をやっていると。


 てなわけでペースは不定期になりますが再開します。
 未発表のネタもあった記憶があるし。
 ストリートビューものという新境地もできたことだし。

 それからもう一つ!
 これは長文の下にひっそり書くことでもないと思う告知というか活動報告なので明後日あたりに改めて!
 では!!
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 7月2~3日の豪雨災害のニュースに心を痛めています。
 被害に遭われました現地の方々に心より御見舞申し上げます。

 フィールドワークに何度も出向いた場所で、通りがかったお土産店。
 いつか自転車を借りて渡ってみたかった、耶馬渓鉄道の鉄橋。
 いくつか目を疑うような箇所が被害に遭われておりました。

 避難地域とされていた地名にも、いくつか見覚えがあるものがあり。
 当ブログの撮影の際には、地元の方の協力があって撮られた物がいくつも存在します。
 皆様のご無事をお祈り申し上げます。
今年も女王は不機嫌だった。
早すぎたのだ。

彼女の一番の見ごろはいつなのだろう。おそらく今週末か。
すまない、その日当たりはバンドが忙しいんだ。
だけれど、うまく都合がつく人が写真を撮ってくれるかもしれない。
そして、ぼくなんかよりもっと写真をとるのが上手い人がいるだろう。

道路工事の看板が無粋に立っていた。拡幅工事が行われるのかもしれない。
彼女が消える前に、この山の中にひっそりと佇む美しいお嬢様の姿をとどめておきたいと思う。

120405_141747-1.jpg120405_142431-1.jpg59b4392a.jpeg120405_142543-1.jpg120405_142650.jpg
女王さまはご機嫌斜めだった。
ちょっと時間を許した隙に、桜は散っていた。

彼女のシャッターチャンスは年に一度。
彼女はいずれ、道路の拡幅で取り壊される運命にあったりする。
道路の拡幅工事はいつはじまるか、それはわからない。

だけれど遅く来たごほうびに、空は青く、桜の色は映えていた。

DCF_0133.JPG DCF_0137.JPG

 そろそろ資源が底を突いたところで、あらためて読み返してみた。
 「自分がなぜ日田バスのこれらのバス停に魅せられたのか?どこが魅力的で、こんなブログまで立ち上げたのか?」
 「ひょっとしたら地元の人々は、都会人が嘲笑っているように受け取っていないか?病身舞と受け取られてはいないか?」

 自分の中でこの二つをちゃんと解決しておかないといけないな、と思う。
 面白おかしく書いているだけ、と受け取られないようには書いているつもりだが、写真のインパクトともあいまってなかなかそうは受け取られていないんじゃないか。
 先日ライブイベントで、スライドショーで上映して解説をするということをやったとき、つくづく感じさせられた。写真のインパクトでまず観衆が沸くんだもの。

 大分のバス停は、明らかに前近代的である。

PICT0583_R.jpg

 福岡(西鉄バス)は標柱を統一しておらず、バス停には多様性が認められる。糟屋郡、旧宗像郡周辺にはブロック製の待合室が点在して残っている。
 待合室の併設は、昭和30年代のバス路線開設時の、おそらく暗黙のデフォルト様式だったと思われる。
 昭和30年代開設(「西鉄80年史」より)、昭和60年代に廃止になった宗像郡の玄海町役場付近の路線沿線に、ブロック製待合室の廃止址が点在していた。

 堅牢でない木造の待合室は90年代まで現存していた箇所もあったが、ほとんどが取り壊されている。基本的には標柱一本化の方向であるのだろう。2003年の福岡西方沖地震の影響もある。
 西鉄バスの場合はほとんどが待合室+標柱であることが多かったが、那珂川町の渕の上には長らく現存する最後の待合室+標識釣下げバス停があった。小学生のころこの付近を通った記憶だと、もういくつか見かけた記憶がある。

 大分バスの有名な「ととろ」バス停について面白い記述。
 http://homepage3.nifty.com/gochan/totoro/index.htm
 開通したのは昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があったというのは興味深い。
 バス停に、駅に近い機能を要求していた証左とも思える。現に、大分交通のバス停のいくつかで、駅名板のようなものを携えたバス停が現存している。
PICT0323_R.jpg PICT0278_R.jpg

 公共交通史としてのバスの歴史、変遷を考えるに辺り。
 大分のこの前近代的バス停群は、非常に重要なミッシングリング的なものになっているのではないかと考えられる。地方の交通インフラとして必要不可欠だった時代のバスのありかたが、そこに息づいているからだ。
(気が向いたときに続く)



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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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