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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。
気をつけろ…奴らはどこかに潜んでいる!!
そろそろ資源が底を突いたところで、あらためて読み返してみた。 自分の中でこの二つをちゃんと解決しておかないといけないな、と思う。 福岡(西鉄バス)は標柱を統一しておらず、バス停には多様性が認められる。糟屋郡、旧宗像郡周辺にはブロック製の待合室が点在して残っている。 堅牢でない木造の待合室は90年代まで現存していた箇所もあったが、ほとんどが取り壊されている。基本的には標柱一本化の方向であるのだろう。2003年の福岡西方沖地震の影響もある。 大分バスの有名な「ととろ」バス停について面白い記述。 公共交通史としてのバスの歴史、変遷を考えるに辺り。
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ある日「日田バス 草の入江」で検索をかけた方がやってきていらっしゃいました。 日田バスの廃止路線の終点です。 自分も気になって何度か検索をかけた記憶があります。 ・・・で、検索してみると、こんな結果が。 http://www.karamatsu-train.co.jp/bus/bus2.html ・・・!!!しかももう、売れている!! うあー、欲しかったなー、と思うと同時にですよ。 ひょっとしたら購入者が、気になって検索をかけたのかもしれないと思ったのです。 もしですよ。 もし購入した方がこれを見てらっしゃったらです。 一度一緒に現地に行って、それが現役時どう設置されていたか、地元の人に聞き取りなどをして再現できないか、そしてそれで写真が撮れないかと思うのです。 http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e451925.html(現況、この日はちょんびんさんと同行) 現存する待合室の立地と現状、プレートの写真を見る限り庇型もしくは壁型の可能性が高いとみます。 本当に、見ていたら、そして協力できるという私目のような酔狂な人間を理解していただける、度量の広い方という厳しい条件なお願いだなあと思うのだけれども・・・。 写真は、この路線の設置例。左は現存する沿線の遺構です。3番目は立地と現存する待合室を見るに、おそらく想像ではこんな感じ。 どうなりますやら。 せっかくなので地元の狭隘路線にチャレンジです。 向かったのは島原市。 島原市は、かつて1991年、雲仙普賢岳の噴火災害に見舞われました。 このとき、バスの路線がいくつか寸断、廃止されています。 災害発生時、長期化する火山活動の中。山を隔てた小浜側の温泉地に、大学の卒業旅行で訪れた際。島原鉄道バス全線時刻表が無料で配布されておりました。 経路の一部が立ち入り禁止区域に指定されて、路線が寸断されたのが、島原市の山裾伝いを走る県道58号線を走る路線。その災害復旧までの代替路線として、礫石原線を運行している旨が、時刻表には明記されていました。 元の、58号線にあったこのバス停まで、全く違う経路でアプローチする路線です。一致するバス停はたった2つ。バス停の数も、1.5倍近く増えた格好になり、大回りする感は否めません。 それから20年近く。元の路線への復旧は無く。 経路は複雑を極め、農道・里道を縫うように走破していきます。 意外なことに、起点からの通しの客は全く現れず、中途の農村部からの途中乗車が多かった。もう、すっかり根付いてしまっているんですね。変わってしまった人の流れ、か。 とか考えていたんですが、結局終点の礫石原まで乗った人は我々以外皆無。 みんな、付け換わった路線上のお客さんでした。 到着した終点の周囲は農地が広がり、おそらく開墾時に掘り出されたのであろう火山岩が石垣に使われておりました。石くれが忌々しいほど転がる、荒涼とした土地だったのでしょうか。曇り空の向こうにはおそらく普賢岳。
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