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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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   普通の待合室+ぶら下がりバス停、と言ったら失礼かもしれないけど、 大分県ではもはや当然のごとく普通に2~3バス停ごとに残ってるエリアがあるレベルなので、まあ普通のバス停。

 確かに普通・・・

 上下ともにある事を除けば!!


 上下ともに待合所がある、というのにはちょっと訳がありまして、この道路自体が結構整備された立派な県道であること、そして何よりこのバス路線が、華々しきトランスポーターの中心として機能していた証であるのです。今でも急行バスが走っているほど。中津~森線。もちろん、本数は往年にははるか及ばない一日数便ですが。

 この写真が全てを物語っています。


 隣の「持田」はなんと新調されてます。

 こちらも上下線があり。
 さりげなく、その近くの商店の脇にこんなものが置かれていました。大分交通の昔のスタイル看板。

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えーとこんな事を書くと驚かれるかもしれませんが、私30年前中学受験戦士でして、小学校の頃に大分九重にある筋湯温泉の山の上のホテルに合宿に行きました。
 最終目標は久留米附設中学で、合格していたらホリエモン氏と同級生になりました。
 昨今彼の自伝が出版されましたが、結局別の中学に行った僕と同じく、な友人が本の中に出てきます。ちょっぴり自慢、でもぼくは彼の生き方や言動は非共感的ですね、ミーハーみたいに持ち上げておいて申し訳ないですが…。

 ぼくの軒下バス停との邂逅は、その中学受験塾の合宿です。
 合宿の息抜きで、小学校のグラウンドに野球をしに出かけることがありました。
 その場所がまさに軒下バス停「湯坪」。

 これが現在の湯坪バス停。軒下にしていた商店の廃業で今は小学校の敷地内に待合室があります。
 
 「日向」は当時のままです!!




 堅牢な待合室型バス停が続くのですが、この路線は観光路線というよりか現在は学校輸送がメインです。もちろん小学校当時は、観光半分、学校輸送半分だったのでしょうが。
 待合所を新設した「久保」、学校の標語が入った「下豊後渡」なんかからは、今でも子供たちの乗り場なんだなーという雰囲気が。

 そんな筋湯温泉から少し下ったところにある、飯田高原という広い盆地。その中心街にあるのが大ボスの「下組」。

 これを見て塾の同級生が「執念のバス停やな」「バラバラや」と次々声を挙げたのを覚えています。
 豊後中村駅から是非乗りバスで登ってみる事をおすすめします。

 終点近くにはこんな大ボスが眠っていますしね・・・。
固定記事でも書きましたがバス停トークを6/25にやります。

6/25(木)「MUSK SOUNDS」
at MUSK(福岡市中央区天神3-2-13 天神センターBLD.3F)
時間 open 19:00 start 19:30
料金 1500円+1drink order

出演)LAGARN/ヒゲLOOK/イフマサカ/ニシジマオ(宇宙サービス)/深居優治(広島)
司会とDJ)ボギー

● Vocal&GuitarのsyohとDJ&Guitarのsuzuki pigeonからなるエレクトロ・ロッキンデュオ、LAGARN。懐かしくも 新しいメロディセンスでトロピカルというより泥ピカル・ロックな大牟田産ヒゲLOOK。ユーモア溢れる切り口の MCが味わい豊かな空間を創り出すイフマサカ。各地の変なバス停や異常な場所にあるバス停を探しては紹介するバス停のスペシャリスト、ニシジマオ(宇宙 サービス)。そして、この人もの凄いよっ、シアトリカルなステージングとぶっとんだギター奏法、弾き語り界の劇団ひとり(?)広島から深居優治がくる!

ちなみに出番はトップバッターです。客ゼロだと怖いので是非皆さん観に来て!!

***

 「46番の考察」で出てきた那珂川支流の集落の終点・「西畑」です。
 さてこのバス停のあった62番(晩年は9番だったかな)・西畑支線は、福岡近郊線のバス停としては待合所吊り下げ方式として最後に残っていた「渕の上」を擁していました。ケータイにカメラ機能が搭載するかしないかの辺りで取り壊されて、写真にぎりぎり収め切れなかった苦い記憶があります。
 西畑のバス停は待合所に寄り添う形で立ってたっけな、うーん記憶がないなあ。まあ、ともかく普通に土台があり、ポールが立ってたのは覚えています。

 西鉄バスはこの西畑地区から撤退をするわけですが、代わりに那珂川町はコミュニティバスを走らせることに。
 ・・・それだけにはとどまらず、西畑のバス停をこんなステキなバス停にしてしまいました。

 粋なことをするじゃないか!!
 ひょっとしたらこのブログの影響?いや、まさかね。
 でも、逆光側から見たら
後ろの木、桜の木だ!!
 多分桜の見ごろになるともっと綺麗でしょう。美しいバス停がひとつ増えたなあと感激しています。
 
 ここは来年の春、是非撮りにいこう。

 それにしても、終点の貫禄バッチリなバス停でありますなあ。

 ちなみにのんびりした風景ばかりが映っているように思えますが、このバス停周辺はとんでもなく交通量が多いです。福岡市街地を避けて東西方向や佐賀方面に抜けたいトラックなどが通る道なのです。
 ゆえにあまり長閑さは感じられません。このバス停は「旧道部」に取り残されて、しかもその旧道部がうまくバスの転回場に利用されてかろうじて待合所が残った結果です。

 コミュバス化する前からもそうですがこのバス停は本当は途中バス停です。
 この先に「大山」という終点がもうひとつ存在します。
 バス停も一個先という実に「もうこの際全部行っちゃえよ!!」的な微妙な距離にあったのですが、まあ本当かどうか知りませんがバスがらみでバイトしてた人から聞きだした情報によると
 「大山の転回場、トイレがねえんだ・・・」
 という答えが返ってきました。信じるか信じないかは、あなた次第。ぼくも真偽は知りません。

 あ、あとこのバス停はこんな場所の最寄だったりします。
さて、大変ニッチな需要であったらしくさっぱりアクセス数が上がらなかったこの企画(苦笑)、最終回といきます。
 この路線はおそらく最初はこういう路線図として企図されたものである、のがこの図。
 南区図書館に所蔵されている警弥郷の名士の方が編纂した「警弥郷史」という郷土資料に、「一度開通したものの離合が困難ゆえいったん廃止された」という記述、春日市史などに残る道路資料を基に想像で作成しています。井尻口~博多駅間は昭和28年のものをそのまま使っているのでおそらく齟齬はあるはずです。

 昔の福岡の商業圏は、島国本土日本と大陸日本、つまり朝鮮(そして満州国)をつなぐ国鉄航路の玄関口の一つでした。旧博多駅の地図を見ると、鹿児島本線も出来るだけ港方向に寄せた線形にしているのがみてとれます。
 その商業圏から旧筑紫郡曰佐村を縦断して、那珂川町に向かうのが理想の46番。
 もしも、としてなんですが、新幹線基地がここまでこなかったら。
 これは実は可能性がありました。山陽新幹線の終点は小倉にするべきか博多にするべきか、実際に選定に時間がかかっています。1963年に一足早く北九州市が発足、政令指定都市化はそれだけ当時福岡の街にインパクトを与えていたのでしょう。
 特撮番組「ウルトラQ」に登場する地底超特急も、北九州が終点になっていました。

 博多駅の移転のIFに関しては省略します。(6)の節、もう書きたくない。するという前提にします。九州新幹線を想定した線形にしてはいるので、結局のところ九州新幹線はこの付近を走っているのでしょうが、基地は出来なかったでしょう。基地引込み線が出来ず、県道575線が完成した場合、1982年ごろでの理想の46番はこうなっていたでしょう。

 しかしこれは、距離にして2~30メートルほどの区間のみ開通によって実現しませんでした。


 そうです、例の箇所です。
今でも、46番は例の狭隘路に入っていきます。
こんな狭いとこ入っていくんです。
こっちは上り線(井尻から博多駅に向かうほう)ね。
追いかけて歩いていってみると・・・
こんなとこ左折して
ここを右折して信号機のところからようやく対面2車線になるという・・・ん?
 反対車線に下り線のバス発見!!

 しばらくその場で見ていると・・・

 どっち曲がってんだよ!!

 どこ挟まってるんだよ!!
 ・・・と突っ込まざるを得ない!

 この路線は本当に思い出が深いのです。
 自分の実家はこの「架空の46番」が出来ていたら確実に恩恵を受けていた場所でした。出会い自体も下白水のバス停を発見しなければ気付かなかったし。
 自分自身は新幹線通りを通る49番のバスを使っていました。

 この地図の、新幹線と県道31号が交わる点を49番バスは西(左方向)から南方向に曲がっていきます。
新幹線通り、立派です。
 そう、ごく稀に46番とニアミスするんです。
 車窓から、たまーに見えるわけです。
 
 バスが挟まるように信号待ちしてる姿を。(オレンジの車をバスに見立ててくださいね!)

 この路線の変遷は「博多駅移転」の生き証人であります。まだまだ、人参町付近の旧道の話や竹下三つ角のバス停跡など、書くと膨らませる事はいくらでもあるのです。
 ですが、ひとまずはこのバス趣味の醍醐味の一つである「奇天烈な経路を走る意外性を楽しむ」にはもってこいな路線が健在であることに感謝し、締めとさせて頂きます。


 ここで切れていなければ・・・、そして、新幹線さえ延びていなければ・・・!!

 なお追記として、県道575線にはもうひとつ未開通部分が存在します。理想図上における弥永一丁目付近です。用地買収も済んだ上で、あとは建設を待つばかりの状態で殺されていたと知ったのは、大人になってから。
 小さな頃からあった今現在存在する弥永1丁目バス停(天神方面乗り場)裏の謎の三角の空き地は、長らく更地のままであったものがいつの間にか申し訳程度に舗装だけをされました。形だけは、一応開通したことにはなっていますがガードレールで新幹線通り方向から蓋をされ、封印されています。

 「あの三角地運行方式でやれば、1982年時点でも46番伸びてなくね?」

 というツッコミが来る可能性があったので、記しておきます。可能性としては46番弥永団地行きという路線が出来ていた可能性のほうが高かった気もするんですけどねー。何で、弥永団地のアクセスを最初45番にしちゃったんだろう?この思惑ははかりかねます。
「最古の記事」カテゴリに登場するこちら。


この風景が・・・

ええーっ!!

こんな感じの風景が・・・

なくなってる!!

七福団地は、見た限り物凄い人口が居たと思われる巨大な炭鉱住宅街でした。
 
中には雑貨店と理髪店と、あとはシャッターの下りた空きテナント。
 
階段を上るとここがいかに大きな団地で、かつて人で賑わってたかがわかりました。

こないだ行ってみてビックリ。
まずバス停の名前が変わっています。

・・・あの、後ろの黒い跡は何なんでしょう・・・

燃えてる・・・
 
た、多分、この位置関係だと思います・・・。
一緒に行ったカミさんに思わず「孤独のグルメ」の井之頭吾郎さん撮りをしてもらいました。




 思い出したのですが、まだ七福ストアーが健在だった頃写真撮ってたら、わらわらと遊んでいる子供たちから
 『なにこれー、雑誌とか載るとー!?』
 『お兄ちゃん記者かなんかー!?』
 って声をかけられたのを覚えています。
 あの子達はどうしているだろう。この写真を撮ってるときに見かけたのは、ご老人数名でした。

 諸行無常・・・。

 何でも揃っていたあの店が・・・

 何も、揃わなくなってしまいました・・・。



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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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