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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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 私の本名は「西村」でありまして、まあフェイスブック見ればすぐ遡れるので知っている方は知ってると思うのですが、なぜニシジマオなんぞと名乗っているか。姓名判断で本名を検索したら「波乱万丈の後孤独になって死ぬ」と出てきたからという
 「うわ、俺の名前怖い、ペンネームで知られる仕事に就けるようになろう」
 という子供じみた理由でありまして。
 まあそれでも西村というバス停に遭遇するとやはりうれしくなるものです。
 こちらは熊本県の産交バスの「西村」。後ろに旧国鉄宮原線のアーチ橋が見えます。
 写真を撮影したのは昔の友人S君。

 堀川バス「西村」。しかし言うのもなんだが両方とも狭いとこにありますなー!
 もっと大きな道を行けんもんかね。

 大分交通バスにありました。「西村」。国東半島を外周する国道沿いに立派に立ってました。王道にありました。メジャーな苗字なのになんか有名人が少ない印象のある苗字、西村。変人が多い気がする西村。それに確実に俺も今寄与しているような気がする西村。

 本数は、意外にも真ん中の堀川バスが一番多いです。一番道狭いけど都市近郊型路線なもので。

 なお西鉄バスには「西村」は一個もありません。不思議!!
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(※今回の写真は全て北ノ君撮影)
 前回の「上院内小学校」と同じくなバス停、全但バスにも当然ありました。
 大分と但馬、県民性が似ているのかもしれない。
 北ノ君は本人は自覚していないかもだけど優れたカメラマンだと思っている。
 だからちゃんとこんなシャッターチャンスが舞い降りる。

 ここをバスが通るのは一日3往復。ここは終点。
 流石だなあ、と思う。

 鄙びた待合所のあるバス停の風景、ってのは今の時代にとって憧憬であると同時に故郷の喪失の予感、それをひたひたと感じさせるのです。都会に住んでいてはもう戻れない場所。「青年部」という言葉は一度都会の隣人関係の無関心さに慣れてしまうと、恐怖になりえるものです。いや、悪いことだらけなわけでもないのだけれどね。

 京都との県府境近くにあります。

 一日3~5往復かあ、妥当かなあ。
 とか地図と写真見てすぐ納得できてしまう自分もずいぶんおかしい気がします。
 でも、本当にそんなもんですよ。

 小学校通学路線というのは過疎地では当然のごとく存在します。
 子供たちの手で手入れされて、きれいなバス停になっているかわいいバス停。

 この看板が気になっています。

 ひょっとしたらこれ、現存する最古のバス停標識の様式かもしれない。
 これは本当に限られた箇所でしか見つからない稀少なもの。
 耶馬溪のほうにある「上伊福」で収集したもの。

 ひょっとしたらだけど、一番最初はあの黒板状のものが「バス停標識」だったのかもしれない。
 そう考えると、ひょっとしたら以前紹介した「東の前(ひがのまえ)」、日本最古級のバス停施設である可能性もあるかも。

 このバス停がある定別当線は、面白いことに日曜の夕方に一便バスが営業運行されて、終点定別当の駐車場にバスが泊まっていってました。月曜日の朝の始発のために。今はなくなったみたいです、残念。ここも折り返し不能な1往復になったか・・・。この先に前紹介した月の俣があります。岩肌ぎりぎりをかすめる凄い路線です。

(※今回の写真は全て撮影:北ノ君)
 北ノ君とは長い付き合いの友人です。11年近く「お父さんのための芸能通クイズ」という大喜利サイトをやっていたときの、彼はそのお客さん。
 あのサイトは再開をさせたいのだけれど、自分にとっては
 「しまった、このアイディアは早すぎたSNSだったのではないか」
 という忸怩たる思いが先立ってしまいます。技術的にはCGI止まりだし。で、プログラムを学べばいーじゃん、って話になるたびにリアルで最低な人格のプログラマに出会うんです。ぷろぐらむ・いず・のっと・ぎるてぃなのは分かってます。でも、これは宿命なんでしょう。

 脱線が過ぎました。彼の写真、青がきれいです。


 鉄道マニアには有名な旧余部鉄橋。一部、残されてるんですね。
 彼の写真で知りました。
 この隣の沢にあたる駅が「鎧」。珍名駅とも秘境駅としても有名な駅です。
 でも、バス停も全然負けてない。

 一時期は件の鉄橋のために不通区間になっていて、JRが代行バスを走らせていたそうです。
 このときの代替バス停が立っていた事もあるようです。ポールが立ってたそうです。

 でも今はそんな無粋なことはぜず、ちゃんと元の鞘の静かなバス停に。
 バス停・駅ともども、港に広がる集落の上にあります。

 餘部方向に戻るとこんな道の駅が。

 ・・・これは、顔ハメですか・・・。

ロシアのバス停が凄いらしいです。
ソビエト時代に建てられたバス停を12年取材しまくったカナダの写真家さん。
http://herwigphoto.com/project/soviet-bus-stops/
ちょっとこれは凄すぎる。ソビエトというのは文化をこういう労働の日常の中に消費するのが美徳だったのかな。まあいくらなんでもジマオ財閥にはお金がなくシベリアの荒野を走るまでの金も体力も自信がないのですが、丁度近所に木造小屋のあったバス停が道路拡張で新調されていた事を思い出して行ってきてみました。

そういや路線的には、山の上に住む小中学生たちがリアルで使ってるバス停です。
このバス停を境にして西鉄バスは不採算ということで廃止の意向を出したのですが、市が肩代わりをしたお陰で「筑紫野バス」という名前で存続することにして、上下で会社の名前が違います。

こちらは西鉄のほう。ここは折り返し場であり、木造の大きな待合室がありました。本数多いのに狭隘路線でも知られてました。個人的には「よく立ち退いてくれたなあ」と思うくらい集落のまんまんなかを通る道路。色々あったでしょう事情はうかがい知れませんが。
で、その反対側。


この機能美!!

デザイン性!!

バス待ちをするとこんな感じ。見えやすい!暗い夜も安心の蛍光灯完備。


道路拡張をするとたまーに、家も建てられないような小さな敷地が生まれます。
よく見ると田んぼのあぜの境界、そんな感じできっとここはそういう三角地になっていたのではと。上手く利用したものですし、このデザインもよく作ってるなーと感心するのであります。
古いのばかり扱ってましたが、たまにはこういうのも扱ってみようかなと。
何しろ出会ったとき
「これはかわいい」
本気で思いました。そりゃ何年もバス停ばっか見てたらそうなりますとも、ええ。



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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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