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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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こないだの広島のライブで
 「バス停の沼」
 という単語が生まれました。そうです。漫画なんかに出てくる形の概念を覆すバス停が現れたとき、人は言葉を失う。

 先日長板を紹介した時、撮影者の北ノさんから補足文が送られてきました。それと一緒にこの地域のバス沼っぷりを紹介したいと思います。

こんばんは。 毎度マルサン醤油の方で採りあげてくださって、ありがとうございます。 さて、今回「長坂」の記事、でいくつか解説をと思いメッセージさせてもらいました。 この「長坂」

が通る路線(氷ノ山の麓まで走る国道482号線の途中にあります)は、かつては、「美方町(みかたちょう)」と呼ばれた地域になります。 地図を見て頂くと、国道9号線から、国道482号線に沿って、「小代(おじろ)」という字が続いていますが、旧来は、この「小代」という一つの谷の一帯で町が形成されていました。 そんな小代地域では、現在は1日3往復しかバスがなく、両側で2車線の狭い国道を車が走り抜け、申し訳程度の中心街には、スーパーもコンビニもなく、せいぜい服や日用品をまとめてうっている商店や、5時で閉まる小さな食料品店がある程度の、「寂れた街道沿い」という鄙びた雰囲気が残る町でした。


 ややっ、凄いバス停発見!

小代の旅館に泊まったとき、女将さんに町の歴史を聞いたなら、戦後は冬になると出稼ぎで大都市に出ていく産業構造で、 そうならないために町が金を出し合ってスキー場を建てたそうでした。 スキーブームの80年代は町は活気はありましたが、現在それもすたれてきて、冬でさえもお客が少なく、観光業も苦戦気味と聞きます。 現在はスキー産業も残しつつ、「美しい村」という触れ込みで、棚田の美しさや但馬牛で売り始め、新たな活路を見出してきているようですが、まだ模索中のように見えます。


 わー、凄い棚田!…とその先に…

(送った写真に、「鍛冶屋」「東垣」「居望」というバス停がありましたが、いずれも棚田の上に建っています。)





 「九州人にはいまいちピンと来ない、スキー場という観光スポットのありかた。」とありましたが、別府や湯布院に温泉めぐりに行くのとは、違う観光のスタイルになります。 目的としては、ひたすらスキーをするためのツアーになります。 具体的にいいますと、例えば関西の場合、 京阪神では積雪がほとんどないので、信州や奥美濃、兵庫県但馬等の、積雪のある地域にあるスキー場に遠征して、スキーして帰ってくる、というものです。 自家用車やツアーバス、スキー列車に前夜から乗りこみ、朝早くから滑り出し、時にはロッジや旅館に泊まりこんでひたすらスキーをし、帰れる時間までスキー場にいる、というスタイルの旅行になります。温泉宿は、そのおまけ、といった感じになるでしょう。 (余談ですが、福岡県民がスキーに行くなら、鳥取県の大山スキー場が多いという話を聞いたことがあります。たしか、『クッキングパパ』にも、そんな話があったと記憶しています。掘り起こせば福岡にも、スキーという観光スタイルがあるかもしれませんね。) そんな感じで、今回紹介してくださった「小代」町域(長坂は旧村岡町になりますが)の地域事情と、スキー観光についての解説をさせていただきました。

 これらのバス停はあまりに不似合いで、立派過ぎる。最初にストリートビューで見つけたときそう思った。しかしむしろ逆な話で、ここは観光地にしたかったのだ。立派で頑丈でなくてはいけなかったのだ、と考えるといろんな意味で
 「残ってくれてありがとう」
 という気持ちにさせられます。

 先日スキーツアーのバスの悲しい事故がありました。
 これらのバス停を使うバスを使ってスキーに出かける人はいないでしょう。でも昔は観光客を乗せて走っていた時代があったはず。いまこのバスは、スキー観光地に住む人のもの。その証拠に1日3本でも座布団が敷いてあります。綺麗です。



 写真見ただけで分かる。うん。
 生きてるバス停だ…きっと生徒たちが使うのでしょう。大分の山奥の温泉街のバス停のような。そんな匂いがします。

 もし、酔狂ならばせめて、スキーバスの車窓からバス停を眺めてみてください。
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塚田!!

本城!!

東方!!

鍵野!!

エースぞろいだった本城線、ほかにもいくつか写真があるのでお蔵だし。

もうこの4つの前では霞んでしまっていた迫の久保。


わき道に入らないと発見できなかった栃井。秋に行くとイチョウが綺麗。


本城線のあった辺りには、天瀬温泉の源泉を使った銭湯があります。ここが超穴場。安くて庶民的で体にいい。

「塚田温泉センター」。

廃止になったのは2~3年前かな。

末期の運行状況がこれではやむなしか。
 こういうツイートをしたら物凄い反響があった。
 このバス停には50年前の時刻表が貼ってある。

 Wikipediaでこの掲示板に乗ってる天ヶ瀬駅時刻表に載ってる国鉄の急行の名前を片っ端から調べ、それらが運行されていた時期を調べてどうも昭和34年ごろではという結論に至った。

 このバス停は昔、昭和27年に作られた「九州バス路線便覧」には載っていない。ちなみに両隣のバス停は載っている。有名な「ととろ」のバス停と同じく、地元の請願で待合室を立てたタイプのバス停と推測される。だから、おそらくその頃のものだろう。
 また終点の「宇の木」というのもとんでもない資料価値がある。終点は松原ダムに沈んだ集落。松原ダムというのは社会運動史に残る事件「蜂の巣城事件」の舞台。


 思えばこのバス停には足しげく通った。五馬線は昔は3往復、それも今や2往復。その途中の近原からは天瀬駅まで支線が出ていたが廃止になった。ちなみにこの待合室は現在使われておらず、ちょっと日田側に新しい標柱が立っている。床が抜けるほど腐っているから。




 軒下バス停がこの路線は多いので、隣の小坪尻を撮りに行った際は交渉をしたのを覚えている。他の路線でもいくつか交渉があったのだがその中で出てくる言葉で
 「そもそもバスは使わない」
 というワードが毎回飛び出す。そう、バスは使わなくて、あくまで最後の手段としておいてあるもの。それか「バスも通わない僻地」という地域にカテゴライズされるのが恐ろしい、と流石にステータスシンボルだけはとっておきたい矜持か。

 実はここと平行して広域農道がバス通りとは別に走っている。車社会で回っているから地元民はそっちを使う。整備もされてない県道を走るバスは要らない子。…けれど、車を運転できなくなったら?と考えると…。

 この国は車社会を率先して目指してきた。
 一家庭が車を持てるように設計をして行った。
 高速道路も、立派な国道や県道も沢山整備された。
 たしかに一時的に豊かにはなったが、それはもう昔の話。

 貧乏な我が家には車はない。
 こないだ広島にライブしに行ったときは高速バスの往復だったのだけど、乗客は若者が多かった。
 そもそも福岡~広島の公共交通機関移動って新幹線か高速バスしかない。
 在来線の普通電車で行く手もあるが、意外に高速バスより高かった。
 その二つの価格差は物凄い。でも歴史を考えると「激しくなった」が正解。

 長い時間をかけてなくしたものが、このバス停にはたくさん見える。
 10往復が2往復に減った意味。
 終点が失われた意味。
 そもそもこのバス停が使われなくなった意味。
(一度だけここでバスに遭遇したことがあった)

 それらの意味の中に「あの時利便性をとったばかりに、こんなことになってしまった」という結果だけが残ってしまっている。
 ここに今更10往復バスを走らせられるか?というと絶対にノウだろう。

 我が家は大変困ったことにカミさんが病気で、定期的に入院時期がある。
 山奥で車がないとどうなるか?をある程度体験しているようなものだ。

 退院時ばかしはどうにかして車を調達しないといけない。しかし親類縁者友人に当たっても「手一杯」で返ってくる。極まれに手を伸ばす方がいて、その人々には感謝しきれない。
 んで、どうしてるかというと偶々近所のガソリンスタンドがやってる格安レンタカーでまかなってる。
 でも、その選択肢がなかった頃はタクシーだった。ぞっとするほどの金が飛んだ。さらにいうと、自分に免許がなかったらどうなっていただろう?

 この闇は、実際にもう日本中の地方都市レベルで起きている。はじっこから腐っていくように。
 「今は若いし動けるし関係ないしうち都会だし」
 と安心している場合でもなく。ひたひたと忍び寄ってくる。そのうち国レベルでそうなっていくだろう。少子高齢化。世代間断裂。国際情勢。あまりこの国に成長の余地があるように見えない今、じゃあどうしろと?

 ・・・とまあ、話を大きくしたところで何も面白くはないのです。
 それより何か面白い事をやってたらそのうち面白いものが出来上がったり、見つかったり、するんじゃないかなーって。そしたらまあなんとかなるんじゃない?



 ぼくは大分の山奥でいっぱい面白いバス停を見つけたので、それを紹介したいのです。でブログを始めたと。で、このバス停はその中でも超一級品です。にっこにっこにー!ってレベルです。このブログで伝えたい事は、それだけです。   
これはバス停ではないです。電停。駅。

奥のほうに市電が止まってますがあそこが電停。

電停のイメージって、やっぱり小さなプラットホームがあるイメージがあるんですけどここでは路上の緑の安全帯がホーム部分にあたる形式。
・・・?
駅名版のこれって、よく見たら電柱よね?
貼ってあるだけっぽくない?
 
気付いてしまうわけです。

駅名板・時刻表はくまなく探したけどこれだけでした。これって、まあ施設的にはバリバリ現役だし勿論使われてるプレートなどはピカピカのもの。

けれど、この電停の「あり方」はとても簡素。路上にある電柱に貼られた標識と時刻表。プラットホームを作るには道路が狭いという理由でおそらく作られてないだけだけど、結果的に原始的になってしまっている。
そう、結果的に原始的な型式で残っている、という点で大分県などに残る壁バス停の始原を知ることが出来る、という。


実はここ、広島の知人の元に訪れにやってきたのでした。待ち合わせ場所だったのです。
リハーサル後めんどくさかったのでステージ衣装で恥ずかしげもなく立ってました。
この日はクリスマスイブ。
イルミネーション電車が過ぎ去って行きました。
あけましておめでとうございます。
やー、年末年始忙しかったんですよ。
挨拶遅れて申し訳ないです。


広島、行って来ました。自宅で事前にやったリハーサルで50分かかってしまい大幅に削ったにもかかわらず45分の熱演(苦笑)。持ち時間は厳守!!
今回はバス停分は薄いです。音楽の話が多いです。

広島で「バス停トーク」やろうと決めたきっかけは、6月のバス停トークにさかのぼりまして。このときに広島から深居優治君という新進気鋭のミュージシャンが
「広島でもやりましょうよ!」
「おれ、ヲルガン座でいつかライブしたいんだよね・・・」
「じゃあ俺、企画します!!」
なんて会話になったのが本当に実現


来てしまったよ・・・夢の舞台だよここ・・・!

バンド「たま」をご存知でしょうか。
「イカすバンド天国」とか「さよなら人類」とか、まあそれくらいのワードしか知らない方々が世の中では大半ではありますが、私目はといいますとですね。

※この先の台詞はバス停で言えば「うわあ、この十日市のバス停中国地方式すいせん型と電照型のハイブリッドだねえ」と盛り上がってるような感じのマニアックトークと思ってください。
「でったーーーーー!!!ここヲルガン座は知久さんが『おるがん』という歌作ったからオルガン買ったっていきなり家に置いてたのを柳原さんが見て呆れたという逸話で有名なあのクギユキピアノ製『イグリーグ』がおいてあるたまファンにとって聖地!!」

なのです!!
リハーサルからはしゃぎすぎてしまい

店主のゴトウイズミさんもこんなツイートを残していただきました。人間からは開放だそうです。もはや妖怪になったようです。
電気ざーるが、笑ってーいーるー♪
このほしーは、寒すぎーるー

たまが福岡に来るたびにライブに通い詰めた20年前の自分にこの写真見せたい。見せたいなー!!

ライブは大成功。写真は京都から来た共演のみつきゃすたーさん。
沖縄のごちゃまぜバスの話で大盛り上がり。

で、十日市のバス停。

中国地方のバス停って大体こんな形で、黄色の支柱二本にバス会社のついた丸板。バス停名は黄色い鉄板ってのが定番なんだけど、広島市街地になるとこんな電照型とのハイブリッドもあるんだ。他にも何箇所か発見できました。
つぶさに見てみると珍しい部類。こういう考察まで行くと・・・うん、バス停奥が深い。深いぞ。

呼んでくれた深居くん(何故か写真が1枚もなかった)、次も期待しててね!バス停沼掘ってくるよー!
ちなみにこの日のバス停トークは過去最高画質でした。ホントに楽しかった。


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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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