(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。
バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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ある日「日田バス 草の入江」で検索をかけた方がやってきていらっしゃいました。 日田バスの廃止路線の終点です。 自分も気になって何度か検索をかけた記憶があります。 ・・・で、検索してみると、こんな結果が。 http://www.karamatsu-train.co.jp/bus/bus2.html ・・・!!!しかももう、売れている!! うあー、欲しかったなー、と思うと同時にですよ。 ひょっとしたら購入者が、気になって検索をかけたのかもしれないと思ったのです。 もしですよ。 もし購入した方がこれを見てらっしゃったらです。 一度一緒に現地に行って、それが現役時どう設置されていたか、地元の人に聞き取りなどをして再現できないか、そしてそれで写真が撮れないかと思うのです。 http://nishitetsu.yoka-yoka.jp/e451925.html(現況、この日はちょんびんさんと同行) 現存する待合室の立地と現状、プレートの写真を見る限り庇型もしくは壁型の可能性が高いとみます。 本当に、見ていたら、そして協力できるという私目のような酔狂な人間を理解していただける、度量の広い方という厳しい条件なお願いだなあと思うのだけれども・・・。 写真は、この路線の設置例。左は現存する沿線の遺構です。3番目は立地と現存する待合室を見るに、おそらく想像ではこんな感じ。 どうなりますやら。 PR
ちょっと長崎に行ってきました。
せっかくなので地元の狭隘路線にチャレンジです。 向かったのは島原市。 島原市は、かつて1991年、雲仙普賢岳の噴火災害に見舞われました。 このとき、バスの路線がいくつか寸断、廃止されています。 災害発生時、長期化する火山活動の中。山を隔てた小浜側の温泉地に、大学の卒業旅行で訪れた際。島原鉄道バス全線時刻表が無料で配布されておりました。 経路の一部が立ち入り禁止区域に指定されて、路線が寸断されたのが、島原市の山裾伝いを走る県道58号線を走る路線。その災害復旧までの代替路線として、礫石原線を運行している旨が、時刻表には明記されていました。 元の、58号線にあったこのバス停まで、全く違う経路でアプローチする路線です。一致するバス停はたった2つ。バス停の数も、1.5倍近く増えた格好になり、大回りする感は否めません。 それから20年近く。元の路線への復旧は無く。 経路は複雑を極め、農道・里道を縫うように走破していきます。 意外なことに、起点からの通しの客は全く現れず、中途の農村部からの途中乗車が多かった。もう、すっかり根付いてしまっているんですね。変わってしまった人の流れ、か。 とか考えていたんですが、結局終点の礫石原まで乗った人は我々以外皆無。 みんな、付け換わった路線上のお客さんでした。 到着した終点の周囲は農地が広がり、おそらく開墾時に掘り出されたのであろう火山岩が石垣に使われておりました。石くれが忌々しいほど転がる、荒涼とした土地だったのでしょうか。曇り空の向こうにはおそらく普賢岳。
例のHDDの写真整理してたら、発見しました。
秋月というのは福岡でも有数の観光スポットです。 秋月藩という小藩の城址と城下町があり、春、秋と訪れると美しい場所であります。 今年は足がないのと貧乏して行けなかったのですが、毎年できうる限り訪れている場所です。 いやー、写真整理してて気づくというのはいかがなものか? これは確かに壁のバス停じゃないですか。 広義も狭義もなく壁のバス停じゃないですか。 ひょっとしたら福岡市内とかにも、こういう見落としってあるんじゃないのか、と考えるときりがなくなってきたような・・・。写真は何も考えなしに撮っているのでめっちゃいい加減です。うっすら覚えてるけど、壁って意識なかった。あ、バス停あるや、撮っておこうとしか思っていなかったでゲスよ、うん。
パソコンがぶっ壊れました。
HDDはまったくの無事だった上、予備のPCを用意していたので被害はほとんどなく・・・といいたいところなのですが。壊れたPCからHDDを取り出し通電してみようということで、「HDDをUSBで接続する便利なヤーツ」(※アバウト命名)を道具箱から取り出して実験です。 道具箱からHDDが出土しました。・・・あ、そういや昔、多くのデータを閉じ込めたまま通電しなくなったやつだな・・・これ、通電してみるか(軽い気持ちで)。 ゲエ!動いた!! 急いでサルベージしたら、そう多くはないのですがいくつかの写真が出てきました。 今日更新した2本の文章は、サルベージして画像が発見された、以前書いた文章たち。 ダムの底に沈んだはずのデータが、急にここに来て大復活。驚きです。 そしてこの写真なんですが、嘉瀬川ダムの底に沈んだバス停の写真。 上を通るのが現在の県道の取り付け道路ですね。 集落はもう、山の上でした。 ところでこの写真の右上に変なものが写ってますが、これ昔携帯水没させちゃってねえ。 カメラのレンズ裏に水滴が入ってるんですな。 この2ヵ月後にお亡くなりになりましたとさ。
人が住むところまで、道は続いてるもんだ。
わけあって広島まで行ったときの写真。いつも遠いところに行くと、そういう最果てまで行き着きたくなるのが性分だったりするわけよ。この道、というかこのバス路線がどこまで続いているかを確かめたくなって。呉からちょうど引き返す予定だった自分としては、呉で行ける最果ての場所を探したかった、そしたらこの倉橋島の突端の終点なんかどうだ、って感じで突き進んださ。 いつも旅に出るときは頭の中の地図以外あんまり使わない。ゆえに想定の4倍もの距離を延々と原付で走る羽目になったのだが、あんまりにも穏やかな瀬戸内海の景色に圧倒されて、別にどうでもよくなって来て。海、港、時々峠道、と続き走ること1時間。 着いた先はやっぱし穏やかな海。江戸時代、諸国大名が風待ち港にしていたという離島の宿の村に、陸続きでバスが一日9本やってくる時代なんて、誰が想像する? |
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