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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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「バス停は駅であった」という考察文を書いたら、これを取り上げざるを得まい。

 巨大建造物です。駅です。
 JR=国鉄バスの、本当に駅扱いであったバス停。
 バスターミナルではあります。だけど、これは例えば駅前や中規模市の中心部に設置するようなものではなく、鉄道空白地の地域までバス路線が伸び、そこに駅を置いたという例。
 「駅」はかつて「運輸」において必要なものでした。遠くに大きい荷物を送る宅配、あれ、宅配業が発達する前は「駅止め輸送」が中心であったようです。

 大分県の山中もそうですが、中国地方の山中など、鉄道空白帯がある箇所には国鉄バスの駅が結構設置されています。長野には国鉄バスの貨物駅も存在したほど。


 これは、その名残。

 内装も立派な駅です。

 と・こ・ろ・が。
 この地域は確かに鉄道空白帯であったのですが、近くに炭鉱が見つかってしまいました。
 貝島炭鉱。筑豊炭田最後に生き残った炭鉱。大規模な露天鉱でした。
 今、その歴史を塗りつぶすようにメガソーラーの建設が進んでいます。
(この土地全部を埋め尽くす予定のようです)
 後に国鉄、ここから1キロもないようなところまで鉄道線を延ばし、本物の鉄道駅を作ってしまいます。
 それは後に「筑前宮田」のバス停として紹介しましょう。駅跡がある程度残っていてバス停になってます。

 この街には「宮田町駅」と「筑前宮田駅」の二つの国鉄駅があったということになります。
 しかし実際町並みを歩いてみると実際、この「宮田町駅」のほうに商店街が発達しています。

 この乗用車というかタクシー、実はバス扱い。
 利用客はそれほどというくらいの短い路線用の車両なんだそう。

 ボットン便所も気合が入ってます。落書きだらけでした。

 今はただの「バス停」です。
 柱もあれば鉄板を路上に落としただけのものもある。それと同じ扱いのものです。
 ここがこんなにも大きいのは、かつて「国鉄自動車駅」であっただけで…。
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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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