(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。
バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 グーグルマップでしこたまロケハンをして臨んだ今回の旅でしたが、いろんな理由でなくなっていたバス停がありました。 PR
最終的に木浦鉱山まで行った先日の大分取材旅行は
この長湯温泉を足がかりに2泊2日(初日夜出発)で行くつもりだったのです。 計画を立てた時点で 「こりゃ、竹田でやりすぎてつまづくな」 と考えました。また最初に向かった雉ヶ平線が全施設新設というテンション駄々下がりのスタートで 「竹田もうだめズラァ!!深追い禁止ズラ!!」 おれの心の中の国木田花丸(※詳しくはラブライブ!サンシャイン!!で調べてください)が言っている。 というわけで竹田や三重町などをかなり端折りました。 ここにどうしても向かいたかったんですね。 いやいや、手垢が付いたネタでしょうよ、ととろなんて、と思う向きがあるかもしれません。 うちは貧乏なので格安レンタカーのお世話になってます。 そこが、カミさんの闘病中本当にお世話になってねえ。 抗がん剤投与の2~3日の入院が2~4週間に一度発生するわけ。入退院のとき、タクシー代よりはるかに安いんだもの。 カミさんが亡くなって、法要も終わって落ち着いて。そうだ旅に出よう。 レンタカー会社の人が、この旅の始まりのときに聞いてきた。 「いやー、しばらく来なかったでしょ。奥さんのこと心配してたんですよ。また病院ですか」 「あ、…亡くなりました」 「えっ!!」 色々会話はあったのだけど、うっかり行く先を 「大分の山奥へ」(※間違ってないよな) (※おれのイメージする素敵な大分の山奥) と言ってしまったばかりに店員さんが真剣な表情で 「…必ず、帰ってきてください!!」 なんか勘違いされてるーーーー!! なんで、バス停の趣味の話でとっつきやすいととろのバス停の話をして、このバス停の写真だけは絶対に撮って帰ってこようと誓ったのでした。 帰って見せて、むしろその店員さんにウケたのはこのバス停だった・・・。 私の本名は「西村」でありまして、まあフェイスブック見ればすぐ遡れるので知っている方は知ってると思うのですが、なぜニシジマオなんぞと名乗っているか。姓名判断で本名を検索したら「波乱万丈の後孤独になって死ぬ」と出てきたからという 「うわ、俺の名前怖い、ペンネームで知られる仕事に就けるようになろう」 という子供じみた理由でありまして。 まあそれでも西村というバス停に遭遇するとやはりうれしくなるものです。 こちらは熊本県の産交バスの「西村」。後ろに旧国鉄宮原線のアーチ橋が見えます。 写真を撮影したのは昔の友人S君。 堀川バス「西村」。しかし言うのもなんだが両方とも狭いとこにありますなー! もっと大きな道を行けんもんかね。 大分交通バスにありました。「西村」。国東半島を外周する国道沿いに立派に立ってました。王道にありました。メジャーな苗字なのになんか有名人が少ない印象のある苗字、西村。変人が多い気がする西村。それに確実に俺も今寄与しているような気がする西村。 本数は、意外にも真ん中の堀川バスが一番多いです。一番道狭いけど都市近郊型路線なもので。 なお西鉄バスには「西村」は一個もありません。不思議!!
前回分。
4年前に書いたこの文章の続きを書きます。 気まぐれにも程がある。 バス停の設置基準というのは各都道府県、あるいは中核市レベルであればそちらの条例に「道路占用許可基準」というものがあります。土建屋さんならおなじみのアレですね。 東京都ではこのほかに道路占用物件配置標準というものが存在します。 北海道にも「バス停留所設置安全基準の制定について」といったものが存在します。 これらの文書にことごとく行き当たるのが「いわゆる乗合バス停留所設置位置の基準の制定について(昭和35年10月28日(都道府県)本交甲例規第205号)」は、廃止する。」という記述です。 (1)で書いた 昭和24年で、「バス停の新設条件に、待合室を作るという項目」があった という記述から鑑みると、この昭和35年にバス停の設置基準が緩くなったと考えられます。 この時点で、前回の結びで書いたバス停が担わされていた「駅」としての機能から開放されたと推察できます。ゆえに、道端に柱を立てるだけでもバス停として機能するということになったわけです。 壁バス停に関しては現存しているものの多くが「個人商店」の場合が多く、個人商店を待合室とみなして認可が下りていたのではないかと推察しています。これは「ととろ」の隣のバス停「南田原」が個人商店に貼り付けてあるバス停であったことからです。 現在の日田市の条例を当たってみたのですが、バス停に関しては記述がありません。公共占有物として一括されていると思われます。 大分県は山と海の県です。大きな平野部は大分平野、それも本当に他の県に比べれば小さい。 道路のインフラ整備が大変な県なんです。 大分県は非常にトンネルが多い県で、素掘りの現役トンネルがいくつも存在します。 さて、大分県のバス停を見回ったり、情報を得たりしてるうちに傾向がつかめてきたのですが、待合所が比較的少ない地域は道路改良が遅いところです。 昭和57年ごろ、九州最東端の梶寄地区にバスが開通した時は新聞記事になりました。 実際に津久見、佐伯地区を乗りバスした友人に聴くと「待合所は皆無に近いよ」との返事。 海岸線には代替交通機関があります。そう、船です。 一方で山中はどんなに貧弱なインフラの道路でも、バスは乗り込んでいかなくてはなりません。 行政としてはバス停施設の更新より、道路の改良のほうが優先順位です。 バスの運営側は困ったもので、たとえば道路が新しく付け変わった場合。廃止届けやら新道の免許申請をしなくてはなりません。 大分の山奥は、野菜の一大産地です。網の目のように広域農道が走っています。もちろん国道、県道の改良も大きく進んでいます。 付け変わった県道部分のバス停は大抵「標柱が立っている」のみです。 テレビの影響もあるでしょう。 都会のバス停は軒下に下がってなんかいません。木造の待合所などがあるわけもありません。 近くに同じような事情の県があります。長崎県です。 こちらの長崎市周辺、大分県とかなり事情が似ているのですが、バス停施設の更新は頻繁で、待合室型のものはほとんど見かけません。 この街は意外にもバスの依存が高かったりします。長崎市内、自家用車よりも公共交通機関のほうが使えるからです。バス会社が儲かってるんですね。 それに新し物好きな長崎人の気質もあるのでしょう。 島原のほうでも、こんな感じでしたし。 北部にはあったりするんですけどね。 写真はケータイが死に掛けの頃に撮ったもので申し訳ない。 「大分の県民性」 ひょっとしたら、この一言に尽きるのかもしれない。 思えば西鉄バスは、よほど堅牢なもの以外待合室は撤去の方向で進んできした。その西鉄が今唯一大分に乗り込んでいる路線のバス停の写真がこれですから…。また、気が向いたら(3)を書きます。
このブログのタイトルは本当は
「ジマオとマルハラ醤油」 の予定でした。 ところが登録のときにうっかり間違えました。 小学校の頃自分は那珂川の山のほうに探索に行くのが好きで、よく見かけてたんですね、看板を。 那珂川のほうにあるんです、マルサン醤油。 46番路線跡探索のついでに行ってまいりました。 本物のマルサン醤油。 これがホントの、「ジマオとマルサン醤油」!なんつって!がはは! ところで、この写真を撮ってる最中女将さんから 「あのう、悪用とか、しないですよね」 といわれたのですが、私が犯罪を起こさない限り大丈夫、だと思います・・・。 マルサン醤油 〒811-1245 福岡県筑紫郡那珂川町別所1098−1 http://www.marusanshouyu.com/ https://www.facebook.com/marusan.syouyu |
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