(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。
バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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世の中には
「バス停はあれど、時刻表は必要ないバス停」 というものが存在します。いうなれば終点の標柱ですね。そういうのは結構どこにも立ってます。 しかしここは色々事情が特殊。 場所は南区の井尻六つ角。 県道31号線、主要地方道2本が本当に六つ角状に交差し、朝夕は激しい渋滞をもたらす魔の空間。この交差点の一角にバスの折り返し場が存在します。 首なしのバス停が立ってるのだけど、ここは実は独立した立派なバス停「井尻交叉点」。 朝に1便だけ雑餉隈営業所からバスがやってきます。 この折り返し場を拠点にする46番系統のために。 そのバスの始発地はここではなく、ちょっと離れた井尻バス停。その割には ものすごく施設が充実してるのだけど、これは理由があってですね・・・。 大昔の話なのですが、県道31号線は昔そりゃもう凄い大幹線でした。1960年くらいの古地図でバス路線表見たら、県外に行く長距離路線なんかが通ってた。 で、福岡女学院という超名門女子学校が、そんな1960年にそんな場所からさらに山の上にある曰佐地区に移転してしまうわけです。きっとその当時、周りは何があったのだろう?田んぼがあれば上等、原野ではなかったか?と思うほど。今じゃ考えられないとはいうけど、おれ御年44。あの辺の31号線沿いにも結構田んぼが残ってたなあと思い出せる。 ハイソなこの学校、この今じゃ超一等地の角地に土地を借りて、その移転当時の大昔バスが頻繁にやってくるここから乗り換え地点として、西鉄によるスクールバスを運行させてたわけです。一時間に2~3本くらいは走ってた記憶があります。ちなみに今の六つ角が形成されるようになった井尻駅へのバス通りは開通しておらず、今の井尻商店街の中を入るバス系統が存在していたんだとか。あれ、おっそろしい狭隘路ですよ。あ、これ46番研究の時話したっけ。同じ話をしがち、オラも年取ったズラ。 これは女学院付近が開発されて、人口が増えて自然にバス路線が他に増えるまで続きました。 書いている自分もその開発されて移り住んだ子孫です。実家あの辺なんです。 「井尻駅から弥永団地行きのバスがないとき、この交差点まで歩くと不思議と女学院まで行くバスに乗れる」 というライフハックが存在してました。覚えてます。 今はもう使われてない、人待ちスペースの廃墟。 バスの折り返し場として今は逆に福岡女学院の所持する、かつてスクールバス折り返し場だった空き地を西鉄が借りているという状況。 どういう折り合いをつけているのか、複雑な状況は部外者からは計り知れないのだけれど。 なーんとも不可思議な空間だけが広がっているのです。バス停は生きています、首はないけど。 PR
そんなわけで去年10月にひっそり大量廃止になっていた大分県耶馬渓付近のバス停たち。
そのうちの一つの終点。 中津市のバス路線は、平成の大合併が始まる前にコミバス化した場所とそうでないとそうでないところが別れました。 だから、旧山国町付近の支線、旧本耶馬溪町付近の支線なんかは、どんなバス停に出会えたのかなーと考えてしまいます。今回廃止になった路線群は旧耶馬溪町エリア。 ここは期待して行ったんだけど、残念ながら支線全体、標柱を作り変えたあとだった。 終点にこんなものが残っていたのと 途中のバス停。よく見たら軒下型の板を取り外した後の金具が残ってるのがわかるだろうか。 ちなみに新しいバス停は、背の低い可愛いらしい標柱だそうな。 コミバス化というのは全然悪いことではないのです。 偶々古いものが古いまま生き残ってて、ええ?全然気付かなかった、これそんな古いまま残ってたものだったの!?ってのが大分のバス停群なのですから。 実は去年10月辺りから大分の北部では猛烈な廃止の嵐が吹いたみたいで、特に耶馬溪付近の路線の廃止が発表になったのには驚いた。 まあ、行かなくてよかった。落胆してたろうから。
さてこの路線(多分「山内線」ではないか?)ヒゲ線を一つだけ持ってまして、「栗の木」まで伸びてます。 |
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