(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。
バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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おそらくこのアナウンサーの手の部分にのびてる縦方向の道のどこかが「竹尾橋」になるのでしょう。
災害ニュースを見てたくさんのバス停写真群を眺めました。小野地区のバス停は小鹿田線、この路線は通学用路線として比較的本数が残っていて、また下流も人口の多い住宅地を比較的長めに通るので「普通のバス停」が多かったんです。なので通った記憶はあれど、あんまり写真に撮れてない。 そんな「普通のバス停」なのに風景に心を奪われて撮った写真。 去年「今村」に行っているので当然ここは通りました。道が新しくなってるなあ、おしゃれなパン屋さんなんかできてて相変わらずドライブスポットやなあと。そこが、あんなことになるなんて…。 PR
実は去年10月辺りから大分の北部では猛烈な廃止の嵐が吹いたみたいで、特に耶馬溪付近の路線の廃止が発表になったのには驚いた。 まあ、行かなくてよかった。落胆してたろうから。 この1枚だけだと「風光明媚」と思うかも知れないが、大分県はひたすらこの景色が続く。 その理由は地質にありましてな。大昔阿蘇山がドカーンと行きまして火砕流が人智を越えた勢いで周辺を覆いつくして、川がその火山から降ってきた堆積物を削って切り立った崖と狭い谷を作って 国道・川・鉄道がそんな地形を縫って走ってるのを象徴する感じでバス停。 この道は交通量多いんですよ。しかしさしたる広告も貼られることなく。 いや、昔はあったかもしれない。 だけどこの国道、平行して高速道路もあってねえ・・・。 完全に鉄道と平行してる上、集落も駅がカバーしてしまってるのでバスが走る意義があまりないこの場所。国道沿いなんだけどなあ。 この前に紹介した全但バスのバス停と比べると立地条件近いと思うのだが、不憫だなあ・・・。 三が日なので本当にどうでもいい話をします。 いや、「勇者ヨシヒコと導かれし七人」にハマりました。 あれはカミさんが亡くなって、失意のどん底にいた頃です。心労で寝込んでいました。 これは体験したものじゃないと絶対にわからないのですが、配偶者が亡くなった場合相手方との宗派との折り合いが大変です。 うちの場合は相手方は真言密教だったので大変厳しく、お布施額によって場合によって戒名がつけてもらえなかったりしきたりも大変だったりと色々厳しい宗派。こちらはまあ浄土真宗。元を辿りに行きましたが大変な山をかき分けていった漁村の村の子孫で、おまけに都会への移民でした。まあフリーダム。僥倖だったのはいわゆる新興宗教に属していなかったことか。 さて、カミさんを亡くした悲しみの中仏壇の手配。法事の手配。しきたりが大変厳しい彼らを納得させる法事をやらなきゃいけない。大変だー、日々ではカミさんいなくて家事もおぼつかなくて悲しい、寝込む。 そんなときに偶々ヨシヒコをみたのです。アホのように笑いました。 毎週楽しみにして見ました。ダシュウの村の回、アホのように笑いました。 ラブライブのパロディでまたアホのように笑いました。 笑いって大切だなあ。 というわけで何故このバス停なのかというとこのバス停は多分 「日本で一番ドラクエの呪文っぽい名前のバス停」 だからです。うむ、有無は言わせない。ヨシヒコに出てくるメレブっぽく 「私はこのバス停を ザメキ こう呼ぶことにした」 あなたの心の中のヨシヒコは、 「凄い・・・私にもそのザメキをかけてください!!」 と返してくれましたでしょうか? 旧前津江村路線の終点です。待合所もあるんだけど離れていて、バス停的要素は標柱一本に託しちゃってて、少しこのサイト的には「惜しい」バス停。昔はここにいろいろ貼ってあったりしたのかなー。 ただ、終点の名前としては最高です。そしてこのドラクエの呪文感。 声に出して読むと、かなり強そうな呪文感あるよ? それにしてもヨシヒコがなかったら、と思うと色々ぞっとしています。本当に、大変だったあの頃。いろんな人から心配されたなあ、あの頃。 笑いの力は大事です。ひょっとしたらそれが呪文「ザメキ」の効能なのかもしれません。 |
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