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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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先日仕事で北陸に行っていた友人から北陸のバス停写真をこれでもかと見せ付けられまして。
それをグーグルマップで確認しながら凄いなあと感心していたのですが、ちょっと福井の辺りから場所を移して兵庫県北部のバス停はどんなもんじゃい、などと検索していたわけです。

・・・な!!

なんと!!

この写真なんて、マニアが取った写真かというくらいです(苦笑)。
ひたすらグーグルマップを追いかけてみましたが、軒下、待合室が半分、5分の3くらいは「立っている」(※このブログ独自の表現)って感じでしょうか。

マピオンで確認しながら、面白い名前のバス停のひとつでも見てみようかという気に。
「鬼子母神」とか面白そうだな。

うわーっ!!

もう、今すぐにでも行きたいけどそんな金もないのと嫁の看病中で行ける身分ではないのです。
まあ、カミさんの病気はどうやら快方のようなので、もうじき出かけられる身分になるとしても。金がないんだなー。

ああ…今すぐにでも旅に出たい…。

こんなニュータイプまで現れる始末!
まだまだ掘ってみます。
関西の友人に撮って来てみるのを頼むのも手かなあ・・・。

(※なお画像は全て著作権はグーグル社に帰属するため、申告がありましたら直ちに削除します。)
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バス停とは、人生である -ニーチェ-

と「バス停トーク」のオープニングで使っているバス停です。

苦悩した顔で立ってみるとまさにそう思えるではありませんか。

 このバス停は筑前山崎という終点へ向かう支線のバス停。
 筑前山崎線は、JR、ないし国鉄バスと西鉄バスが昭和30~40年代路線網を引くにあたり、大変しのぎを削った場所であります。直方から赤間のほうに抜ける峠の路線を引くために、蜘蛛の糸のように絡み合った路線網が敷かれていた場所です。長閑な農村地帯なんですが、JR晩年期も桶田経由、有木経由の2系統存在していたし、西鉄はJRと重ならないよう必死に遠回りをしてこの周辺に路線を延ばしたり、時には和解をしたのか競合路線を引いたり。

 西鉄もJRもなーんにも居なくなってしまって、今は宮若市乗合バスとして運行されています。

この黄色のがJR時代のバス停名板。

裏から見てもサビサビです。
おそらく譲り受けたのか。新しく立てた感じですが、もうレトロ感ある。


病院の名前は「有吉病院」でした。
…あ、「新・三大○○調査会」あたりに売込みしてみようかしら。いや、地元から攻めて「ドォーモ」あたりとか。



カミさんに撮ってもらいました。

このバス停を紹介してくださったちょんびんさん、ありがとうございました。
知らなかったのDEATH!!マイガー!見逃し!!
しかも何気にリンク先のほうが写真の撮り方うまーい!
「特殊ブログ捜索隊」様
http://tokublo.net/jimao_syoyu/
からこんなステキな紹介記事を頂きました。ありがとうございます。


まだまだ、ブログにお蔵だししてないものは残ってるもんだなー。
これは古い型の壁バス停ですね。もう皆さんもすっかり慣れたかと思います。
 でも、おかしいことに気付きません?時刻表がないんですよ。

・・・というのも。


とまあ、こういうことです。
立ってます(※このブログ独自の表現)

写真を撮ったのはかなり前です。現在は日田バスのみが走ってますが、ここを大分交通の伏木経由(旧国道線経由)が走っていた時代があった、ということですね。

日田バスは比較的本数が多いのですが、これは終点の小鹿田(皿山)が焼き物で有名で、また通学路線でもあり需要がないわけじゃないからなんですね。
伏木線は壮絶でした。廃止になっちゃったんだよなあ…。


こないだ街に出て。
ふとこのバス停を観ながら考えたわけです。

屋根がある待合所に

真ん中に鉄板・・・


これと構造同じじゃね!?


まあ、渡辺通りがこれだけの本数なのに比べ、

日向はこんなもんですが・・・。

バス停の先祖返りとでも言うのでしょうか。

 以前、まあここなら外さないだろうと勇んで国東半島に行ったことがありまして、そりゃもうワクワクして軽を走らせたのですがものの見事にごらんのごとく
 「立っている」(※このブログ独自の表現)
 案件ばかりで肩透かしにあいました。どの支線も結構最近に施設を刷新した感じもして、ああー、こりゃねえな、ということで国東半島の北半分で調査は終わらせて帰ったことがあります。

 しかし国東半島というのは実に寺社やら石仏の多い場所でありまして、表題に出している路線の終点「文殊線」、まさに極めつけの「成仏線」など、珍名系のバス停が大変多い。
 以前にも一度紹介した「下成仏」。これは地獄の門へのバス停!?

 終点は「上成仏」。
 天国は意外と、普通の田舎でした。

 ほかに本当に夫婦岩の下に置かれた「夫婦岩」とか

 由来が気になる「豆腐坂」。


 そして一番謎だったものがひとつ。
 国東観光のバス車庫は、大分交通国東線の終点国東駅の跡を使っており、バス路線はその名残で国道を通らず海岸線側港町の細道を使うローカル線が多々あります。
 これは「小原」バス停のところで見つけたもの。バス停は別に立ってました。
 中に朽ち果てたベンチがあり、待合室の跡っぽい雰囲気だけはする何か。

 この建物はなんだろう・・・?
 最初、バス停のあとと思って近寄ったのですが、ひょっとすると鉄道のほうの遺構なのかもしれない…。


 めっちゃ海に近すぎる。



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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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