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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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PICT0090_R.jpg もう自分も日田バスは廻りつくしまして、『むう、このバス停の標識の形は初期!!』『軒先ないし待合室型の中期!!』などと勝手にカテゴライズをできるほどになりました。

じゃ、このバス停は?

「軒先・壁タイプ中期を無理に標柱にくっつけたもの」。
日田バス全体でも他に1個あった、非常に珍しいタイプ。

この路線、玖珠町から日出生を越えて宇佐に抜ける県道(三又川のその続きに当たる場所です)沿いのバス停。大幅な改修のおかげで、いくつかのバス停が新道に移転したり、廃止されたりしている。このバス停はその旧道の入り口付近に立っていた。

・・・今考えたら、その『バス停が元あった場所』を見に行くってのもいいんじゃない?
ってことも考えたのだけれど、実はその直前この新道のあまりのバス停の少なさに、何箇所か旧道に入り込んでみたのですよ。そしたら、壮絶なまでに自然回帰を起こしていて、とても車で入り込める雰囲気じゃない!!
特に『砥石谷』バス停(廃止)のあったという付近は完全な藪+資材置場に使われていて、探索しにいけば面白いのだろうけれど時間+装備なし。リサーチできませんでした。
柿木(移設)~石飛(移設)間は、かろうじて現在でも通行できます。おっそろしく暗いトンネルがあるでよ。

てな訳で奥の集落には行かなかった「老舞」。
近くに県道の橋があって、翁の面のレリーフに「老舞橋」と銘が打ってあります。

PICT0091_R.jpg
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PICT0315_R.jpg 鉄道線跡のバス停。
 駅跡がそのままバス停になっている。
 豊州鉄道といい、大分県宇佐市の豊前善光寺駅から院内町を経由し、豊後森までを目指していたようだ。
 線路跡の殆どは県道になっている。そしてその県道は、鉄道の伸びることはなかったその先の険しい山岳地帯を、やすやすと快適に越えられるようになっている。開通したのは昨今のようだ。

 この駅のちょっと下流の鉄橋が流されて、廃止になったという。

 待合所は駅のそのままを使っているし、バス停の敷地はホームのそれ。だから、道路と待合室の間に妙な余裕がある。道路側に立ってみると、汽車がやってきそうな気・・・は、しない。交通量、多いっちゅうねん。
 当たり前の話、廃止からもう40年以上経っている訳だから待合所の外壁はぼろぼろ。しかし、本当に思う。大事に使っているなあ。

 この沿線、駅跡のこういうバス停が他にも何個かあったのだが、夕暮れが押し迫ってこれしか撮影できず。
 豊前二日市駅跡は風情があった。
 集落を見下ろすの高台の上のおらが駅、が想像できてしんみり。

PICT0316_R.jpg PICT0314_R.jpg PICT0313_R.jpg
PICT0071_R.jpg 日田バスのバス停には実によくある「晒し首」。
 昔のタイプは待合所ないし軒下に掲げるしかない設計の金属板で、主をなくしたプレートはその辺に放置、ってなことが本当に非常に多い。

 まれにいくつか、このプレートが行方不明のバス停も何個か見受けられる。
 待合所に時刻表だけが貼ってある寂しいバス停があって、そこにどっかの不届き者が業務用の特殊な紙(A0サイズ)を数十枚投棄していた。必死に足で、その紙やらごみやらを掻き分けながら、バス停を探した俺。なんか、何やってんだ…って気分になった。

 このバス停は幸せで、ちゃんと首は大事に保管されている。しかも、日田バス特有の「最近パソコンで作って、バス停の名前がちゃんとわかるようにしましたよラミネート」はバス停内に貼ってあり、プレートのほうは凄いことに旧来のものが使われてる模様。おお、貴重じゃないか。

 しかし、近づいて・・・
PICT0073_R.jpg PICT0074_R.jpg

 あ、裏返してただけか・・・。

 場所は別荘地も点在する集落のあたり。
 この路線(本城線、1日1往復)は完全通学用だけに、バス停は手入れが行き届いていた。

PICT0070_R.jpg
PICT0235_R.jpg 大分交通系統のバス会社のもので、初めて発見した軒下バス停。
 見つけたときは声を上げてしまった。

 自分の遍歴は福岡市→長崎市(郊外)で、この二つの市ともに共通するのが「バス会社が発達しすぎてる」ってこと。バスに関する施設の充足は特に事細かで、長崎バスに至っては印象として「ぼろぼろのバス停なんて見当たらないよな?」ってくらいどこも標柱がきれいだったりする。
 つまり、軒下型なんて昭和中期の遺産が残ってる望みなんざ、はなっからない街にしかいなかった訳で、こういうものを見つけて一喜一憂する自分は大分県ではきっと寓話「一つ目村」の主人公さながらなんだろうなあ。

 待合室に見えるようで、実は単なる民家の車庫。

 道路は改良工事の真っ最中。
 福岡の県境まで延びてはいるがこの県道、いまだに峠越えは果たせていない。

PICT0230_R.jpg PICT0231_R.jpg
30767b6a.jpg えらく立派な建物の軒先に、ひょっこりと顔を出すバス停。
 この建物、何かというとバス用の車庫。

 例えば朝の第一便、山奥の学生たちや通勤者が朝一で町にバスで出かけるとして。その山奥からの始発便は、町の車庫から早朝から回送で、くたびれるような長い距離を走って始発地にたどり着いている・・・と思うとそうではなく。始発地にあらかじめバスを止めて、運転手もそこに宿泊して、朝の第一便を運行するのに備えている。
 福岡市内にもいくつかその名残があって、金武という集落に比較的最近までそれが残っていたなあ。東区の大岳は今も残っているかもしれない。

 豊後森駅(玖珠町)~守実温泉(旧山国町)を結ぶいまどき珍しい峠越えの路線。豊後森からの夕方最終便だけがこの梶原で止まって、夜を越します。以前別のこういう車庫で見かけたけれど、いまどきの運転手さんたちは自家用車でここまでやってきていて、バスを止めたらそれに乗ってお帰りになられておりました。

PICT0266_R.jpg 106a8eb4.jpg


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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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