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(主に大分の)珍種バス停写真のブログ。 バス停大好きっ子も厄年を過ぎました。
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PICT0383_R.jpg 壁のバス停が生き残る条件というのを考えた。
やっぱり何よりも第一なのが、「建物がずっとあること」。
そりゃ当たり前ですやん、建て替えるってなったらバス停外しますがな、って単純な話なんだけれど、壁のバス停ってのは3~40年前くらいからあるらしいわけよ。つまり、そういうバス停が貼ったままの建物ってのは、築30年って訳。

不動産選ぶとき築30年とか40年とか言われたら、どうする?
・・・うん、考えるねえ。

このバス停は、昔の公民館か消防団の格納庫か。
庇の先に、錆びた半鐘がかかっている。
そういう建物だから、建て替えもなくずっとゆるやかにこうして、壁バス停として残ってきたのでしょう。

PICT0382_R.jpg PICT0385_R.jpg PICT0384_R.jpg
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PICT0102_R.jpg このバス停、妙大寺中通りと続いたあとしばらく行った先に出現する。
一日2往復のローカル線に似つかわしくない立派な待合所に、気の利いた手製の木の看板。

「のっちょくれ」は地元の方言で、「乗っていってくれ」「乗ってけ」か。この路線の先の終点近くまで行くと、廃止反対看板も見受けられたりするから、地元住民にとっては現状ですらどうにかしたい状況なのだろうと思う。

どうなんだろう。地元民にとっては実際「コミュニティバス化」がよい選択肢な現状。しかし・・・このバス停趣味的にはどうかなー。標柱とか看板とか撤去されちゃうだろうしなあ、惜しげもなく。しかしまあ、それでこそ健全ともいえるし・・・うーん、痛しがゆし。

6ba14853.jpg PICT0372_R.jpg PICT0375_R.jpg
PICT0090_R.jpg もう自分も日田バスは廻りつくしまして、『むう、このバス停の標識の形は初期!!』『軒先ないし待合室型の中期!!』などと勝手にカテゴライズをできるほどになりました。

じゃ、このバス停は?

「軒先・壁タイプ中期を無理に標柱にくっつけたもの」。
日田バス全体でも他に1個あった、非常に珍しいタイプ。

この路線、玖珠町から日出生を越えて宇佐に抜ける県道(三又川のその続きに当たる場所です)沿いのバス停。大幅な改修のおかげで、いくつかのバス停が新道に移転したり、廃止されたりしている。このバス停はその旧道の入り口付近に立っていた。

・・・今考えたら、その『バス停が元あった場所』を見に行くってのもいいんじゃない?
ってことも考えたのだけれど、実はその直前この新道のあまりのバス停の少なさに、何箇所か旧道に入り込んでみたのですよ。そしたら、壮絶なまでに自然回帰を起こしていて、とても車で入り込める雰囲気じゃない!!
特に『砥石谷』バス停(廃止)のあったという付近は完全な藪+資材置場に使われていて、探索しにいけば面白いのだろうけれど時間+装備なし。リサーチできませんでした。
柿木(移設)~石飛(移設)間は、かろうじて現在でも通行できます。おっそろしく暗いトンネルがあるでよ。

てな訳で奥の集落には行かなかった「老舞」。
近くに県道の橋があって、翁の面のレリーフに「老舞橋」と銘が打ってあります。

PICT0091_R.jpg
PICT0071_R.jpg 日田バスのバス停には実によくある「晒し首」。
 昔のタイプは待合所ないし軒下に掲げるしかない設計の金属板で、主をなくしたプレートはその辺に放置、ってなことが本当に非常に多い。

 まれにいくつか、このプレートが行方不明のバス停も何個か見受けられる。
 待合所に時刻表だけが貼ってある寂しいバス停があって、そこにどっかの不届き者が業務用の特殊な紙(A0サイズ)を数十枚投棄していた。必死に足で、その紙やらごみやらを掻き分けながら、バス停を探した俺。なんか、何やってんだ…って気分になった。

 このバス停は幸せで、ちゃんと首は大事に保管されている。しかも、日田バス特有の「最近パソコンで作って、バス停の名前がちゃんとわかるようにしましたよラミネート」はバス停内に貼ってあり、プレートのほうは凄いことに旧来のものが使われてる模様。おお、貴重じゃないか。

 しかし、近づいて・・・
PICT0073_R.jpg PICT0074_R.jpg

 あ、裏返してただけか・・・。

 場所は別荘地も点在する集落のあたり。
 この路線(本城線、1日1往復)は完全通学用だけに、バス停は手入れが行き届いていた。

PICT0070_R.jpg
0330c3b6.JPG 田舎バス停を撮っていて、結構つらいものがあるやつが「廃集落」のバス停。
 果たしてこのバス停に意味はあるのか、と考えると同時に。
 これを写真を撮っておく趣味は、ひょっとしたら悪趣味なのではないか。
 そう思うときがある。

 「秘境駅探訪」という趣味が最近静かなブーム(本当にこの表現がふさわしい)なのだけれど。鉄道趣味に含蓄がなく、それに魅せられた人々にとってのそれは「何もないところに癒しを求める趣味」として認識をしていると聞く。
 何でもある都会人が何もないものに癒しを求める、そいつは都会人の傲慢じゃないのか。いやいやそんなつもりはないけれど。ないはずなのだけれど、それが傲慢であるというのはまったく否定することはできない。心の片隅に置いておかなくてはいけない。

 このバス停は、大山ダム建設前に撮影したもの。
 とっくの昔に人々は立ち退いたのか、それともここから行ける集落のほうが立ち退いたのか。
 いずれにせよ壮絶に人の気配がしない場所にぽつんと置かれているバス停だった。
 この当時時刻表には「ダムによる道路付け替えにより下流のバス停廃止のお知らせ」などが貼られていた。
 この写真を撮りながら、冒頭の罪悪感を覚えてしまったのはきっと、「最初から何もない」ではなくて「もともとあった場所を、何もなくしてしまっている最中」であったからなのかもしれない。

 現在はこのバス停のあった場所は、ダム工事道路として封鎖されている。
 バス停は封鎖されている地点そばに移設されているが、相変わらず人の気配はまったく感じることはできない。
 
Vfsh0072.jpg VFSH0070.JPG


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★激動の昭和の荒波に耐えて田舎に都会に生き残る、珍バス停たちが大好き。しかし嫁は全く無理解。
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